ただの相談役 気まぐれブログ

肝硬変
201210.16

こんにちは「倉敷の工務店 ユーリン・ホーム」の
ガマはガマでもワガママのガマです。

「お父さん、京都のT林さんから電話」
と、奥さんに言われて受話器を取った。

「おお中井、オマエ知っとるけ?」
「何をや」
「Kが死んだんや」
絶句した。

「死んだんは3月らしいけど
誰かから連絡があったけ?」
「そんなんは無かったけど・・・
なんで死んだんや?」
「肝硬変や」
「肝臓の検査入院するちゅう電話はあったわ」
「いつ頃や」
「今年の初め頃やったかなぁ」

思えば長い間、Kから電話が無かった。
検査入院すると聞いた時
退院して養生が必要なら
茶屋町に来て
1週間でも
2週間でも居れば良い
そうい言ったものの
その後、連絡もしていなかった。

「中井、オマエ、Kの墓、知っとるけ?」
「知らん」
「そやろなぁ、今、A堀に調べさしとるんや
分かったら、また知らせるから・・
ラグビーの有志で
墓参りに行こうゆうことになっとんや
時間と場所を知らせるわ」

T林は私が墓参するもの
と、決め込んで電話を切った。

そう思われるのも当然なほど
高校時代のKと私は
いつも一緒につるんでいた。

授業をサボって喫茶店に行き
放課後はラグビーで汗をかき
終わればビリヤードや麻雀をした。
酒もタバコもその頃に覚えた。

校内で酒を飲み
校長訓戒を受けた
メンバーでもあった。

木屋町で酒を飲み
四条大橋の上で立ち回りをして
橋のたもとのポリボックスで
警察官に油を絞られたこともあった。

高校卒業後
私は中央大学へ行き
Kは名古屋で金融業を始めた。
その頃も東京への行き帰りに
Kの所に寄り道しては
世話になっていた。

「オレは金融で天下を取り
中井に顧問弁護士になってもらうんや」
Kのその頃の口癖だった。

私が岡山で働き始めた頃
Kは京都で不動産業を始めた。
あまり逢う事は無くなったが
電話連絡はし合っていた。

晩年のKは奥さんと別れ
宅地建物取引主任者の免許を失い
ブローカーのような仕事をしていた。

一発勝負のような
大きな土地物件の売買を持ち込んできて
買い手を斡旋して欲しいと幾度か言ってきた。
何人かの不動産業者を紹介したが
売り手がまとまらず話にならなかった。

「人は正しく堕ちる道を
 堕ちることが必要なのだ。
 堕ちる道を堕ちきることによって
 自分自身を発見し
 救わなければならない」

私は高校生時代
坂口安吾が好きだった。

Kよ、オマエは『自分自身を発見し』ようとしたのか?
Kよ、オマエは自分自身を
   『救わなければならない』と、思わなかったのか?

肝硬変という病名が悔しい。

 

執筆者:中井勝人
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