ただの相談役 気まぐれブログ

烏丸通に思う 
201609.30

ユーリン・ホームの建てる家は
断熱材を発泡ウレタン注入にして
長期優良住宅を当り前の標準にしています。

私は京都育ちで
家は油小路中立売(あぶらのこうじなかだちゅうり)下がる
にありました。

東西に走る中立売通りを東に15分も歩くと
京都御所の中立売御門に行きあたるのですが
その前に
南北に走る烏丸通りを横切らなくてはなりません。

初めて京都に来られた人は
この通りを「とりまる通り」と読み間違えられ
京都好きのリピーターでも
「からすまる通り」と読まれることが多いようです。

烏丸通りを京都の人は「る」を読まずに「からすま通り」といいます。

この通りが「からすま」と言われるようになった由来としては
現在の烏丸通りに沿って川が流れていて
その河原の中洲を『河原の洲=』として
それが短縮されて「からす」と言われ
中洲一帯を『河原の洲の間=』で
からすま」と呼ぶようになったとされています。

しかし
私はこの説に釈然としない思いを持っていました。

平安京の頃から南北に走る通り名に
油小路と同じように烏丸小路もあります。

それで昨日の読売新聞の記事。

rituryoukokka.jpgkarasunoana.jpg

 奈良県橿原市の藤原宮(694~710)跡で、重要なこっかぎしきでつかわれる
「幢幡(どうばん)」を立てた跡とみられる柱穴7個を確認したと、奈良文化財研究所
(奈文研)が28日発表した。(略)
 柱穴跡は1辺1~2㍍のほぼ正方形。天皇が執務を行なった大極殿南側で、
重要な儀式が行われた朝堂院の広場にあった。(略)奈文研は続日本紀の
記述などから、左右に中国の陰陽五行思想に基づく四神「青龍」「朱雀」「白虎」
「玄武」と、太陽と月を表わす「日像」「月像」の幢幡を立て、中央には日本独自の
神の使い「烏」の幢幡を据えたとみている。

この記事を読むまでもなく
日本では神武東征の際に
八咫烏(やたがらす)が神武天皇の
道案内を果たしたという神話が有ります。

八咫烏は導きの神として信仰され
太陽の化身ともされているのです。

だから
平安京を創った時に烏丸小路という名前の通りも造ったのだと
私は想像しているのです。

通りの名前が先にあって
変わった名前なので
由来を後から考えたものではないでしょうか。

因みに
平安京の中心を南北に走る大路は『朱雀大路」です。

私の母校・京都府立朱雀高等学校は
旧朱雀大路をなぞるように走っている千本通りに近いので
校名として朱雀をいただいたのだと思います。

執筆者:中井勝人
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