ただの相談役 気まぐれブログ

オペラハウス
201601.20

35年のローンを組んでも、建てて良かったユーリンの家。
ユーリン・ホームのガマはガマでもワガママのガマです。

時には眠るのが惜しいと思えるような本と出合うことがあります。

注文していて昨日届いた本もそのような本でした。

opera.jpg

『日本兵はシルクロードにオペラハウスを建てた(嶌信彦 著・角川書店)』

【帯】
シルクロードに伝説を刻んだ男たち。
その埋もれた偉業が、いま初めて明かされる!!

ソ連四大劇場を造りあげたのは若き日本兵だった――。

ソ連四大劇場の一つとされたオペラハウス、ナボイ劇場。
今もウズベキスタンの誇りとなっている壮麗な劇場を建てたのは、
シルクロードに抑留された、若き日本兵捕虜だった。
大地震にも耐えた堅牢な造り、美麗な内装。彼らの誇りと意地をかけた仕事は、
収容所長をはじめ、げんちのひとびとのこころをうごかし、語り続けられ、日本人伝説となった。

敗戦後、日本兵はシルクロードで一大プロジェクトを闘っていた!!

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【見開き】
一九四五年、夏の終わり。
ウズベキスタンに抑留された工兵たちがいた。
彼らに課されたのは「ソ連を代表する劇場を建てること」。
捕虜生活の下、四五七名の隊を率いてプロジェクトを完遂した下リーダーは、
まだ二四歳の将校だった。
「日本人の誇りと意地にかけて、最良のものをつくりたい」
彼らの仕事はソ連四大劇場の一つと称賛され、
大地震にも耐えたオペラハウスとして結実した。
シルクロードに刻まれた日本人伝説!

序章 シルクロードの”日本人伝説”
 一九六六年四月二十六日午前五時二三分――中央アジア・ウズべク・ソビエト社会主義共和国
(当時はソ連領)の首都タシケント市が、直下型の大地震に襲われた。震源地は市の中央部
地下でマグニチュード五・二に達した。――中略――
 当時のタシケント市の人口は約二〇〇万人。民家は日干しレンガ造りの家屋だっただけに
被害は甚大だった。後の国連の調査によると約二四〇の政府系建物、七〇〇の商店・レストラン、
約一八〇の教育施設、二五〇の工場、約八万の家が崩壊し、約一〇万人の人々が戸外に
放り出された。タケシントの街はほぼ全壊したといっても過言でないほどだった。――中略――
 しかし公園に来た人々は、みんな息を呑むほどに驚いた。何とあのアリシェル・ナボイ劇場は
どこひとつ崩れることなく、すくっと何事もなかったかのように悠然とたたずんでいたからだ。――中略――
「そういえば、あのナボイ劇場は――中略――日本人捕虜が中心になって建てたものだ。――中略――
あの頃 ”日本人は捕虜なのになぜあんなに一生懸命になって働くんだ” と不思議に思う人が多かったけど、
将来笑いものになるような劇場を作ったら日本人の恥になると言っていたらしいよ。一緒に働いていたウズベク人は
日本人のそんな使命感のような話をよく聞いたと言っていたなあ」――中略――
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私も小なりとは言え
「家造り」という仕事とに携わっているのですから
こうした先人の気持ちや心を見失わず
「恥」を知る仕事を積み上げていくつもりです。

少なくとも
人様の前で土下座というようなパホーマンスだけはしたくない。

涙しながら読み終えた本でした。

hausu.jpgナボイ劇場の外観写真です。

執筆者:中井勝人
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